師範養成科修了生(40代)の体験談

 毛筆できれいな文字が書けるようになりたいという単純な動機から師範養成科に入って約二年。想像以上の課題の多さや通学時間の確保の難しさに苦労しつつ、ようやく終了間近となった。義務教育の後、毛筆を持った回数はおそらく片手に満たない状態で入学し、当初はやっと書道を始められたうれしさや学ぶ楽しさでわくわくしながら教室に通ったものだったが、それも束の間、すぐに壁に直面し、ため息をつきながら通学する日々となった。

 そもそも習字と書道の違いすら考えずに入学した私は、それまで漠然と持っていた「きれいな文字」の概念が早々に揺らいだ。先生方のおっしゃる「良い線」や「空間の取り方」などもわからず、また当然ながら法帖や先生方のお手本のような字が書けるはずもなく、ずいぶん紙を無駄にした。

 他の時間を削り、たとえば仕事から真っ直ぐ帰宅して「きょうは競書の○○を仕上げよう」と意気込んで紙に向かう。何時間か頑張った後、とりあえず提出に耐えられそうな数枚を選んでその日の作業は終了する。しかし、翌朝にそれらを見ると、悪いところばかりが目につき、また書き直す、の繰り返しだった。(これは今も変わらない)

 ただ当初は書いたものを見直したり書き直したりといったこともなく、例えば競書の課題の場合、一か月で書き貯めたものを提出日にまとめて持参し、先生に提出するものを選んでいただいて終えていた。その際に先生方から「ここがもう少しこうだったら良かったね」とか「次はこういうところに気を付けて書くとよいですよ」といった指摘を受けて初めて具体的な課題に気付くことが多かった。そうした指摘を理解し、次の作品に生かせればよかったのだが、実際には毎月仕切り直しの状態で、我ながら進歩がなかった。師範養成科の終盤になってようやく見直すようになり、自分で考えながら書くということに気持ちが向き始めたと思う。

 ただその矢先、通勤途中に交通事故に遭い、三か月の休学を余儀なくされた。たまたまバッグに入れていた2019年6月号の競書を、その後二か月超に及んだ入院生活期間中に眺め続けることになった。入院中に時間を持て余していた時期には書道の道具を病室に持ち込もうかとも思ったが、限られた環境で思うように取り組めるとは思えなかったため断念し、治療に専念することにした。ちなみに病院で知り合った患者さんの中に、正真正銘の書道の師範がいた。足の手術で入院していたその方は理学療法士の勧めでリハビリに書道を取り入れていた。ご本人は当初、筆の処理など道具の管理が大変、といった理由であまり乗り気ではなかったようだが、その辺りは病院のスタッフがサポートしていたようで、すぐに楽しそうに創作する様子がうかがえた。とても羨ましかった。

 二年間という短い師範養成科だったが、楷書から隷書まで幅広い書体に触れることができたのは有難かった。どの書体も新鮮で、新しい法帖を手にするたびにわくわくした。中でも蘭亭序、風信帖、書譜などは印象深く、折をみて再度学んでみたいと思っている。

 院内書作展では本当に多く学べた。まず、どんなお手本が与えられるのかとドキドキしながら事務局で受け取った封筒をのぞき込むと、判読不能な大きな文字が目に入った。その時の衝撃はいまでも忘れられない。これまで書いたことのない大きな文字を、墨をたっぷり含ませた筆で思い切り書くのは本当に爽快で、不謹慎ながら最高のストレス解消だった。二か月程の短い練習期間だったが、とくに日曜勉強会で一日集中して書作に取り組めたのは本当に貴重な体験だった。思うような作品ができず焦る日々ではあったが、時間に追われる生活の中で、何の雑音もない環境で丸一日作品に打ち込めたのは、ある意味で非日常だった。その一日を終えた時の心理状態を表現するのは難しいが、気分が一新したような晴れやかな気持ちというか、まるで楽しい旅から帰る途中のような感じがした。

 これから研究科に進み、書道を学び続けるということは、私にとっては悪戦苦闘が続くことを意味する。恐いような楽しみのような複雑な気持ちだが、少しでも進歩できるよう努力を続けたい。 

 

日本教育書道芸術院 師範養成科修了生(40代女性)の体験談


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